嘘つき

私、嘘はつかないように心がけています。もちろん、罪のない(と自分では思っている)嘘は何回もあったでしょうが、重要な事では絶対に嘘はつかない、と決めております。それは、別に私の魂が崇高だからでも、信心深いからでもありません。若い頃に読んだ三島由紀夫の随筆に、子供の嘘は想像力の賜物だからとがめる必要はない、という文章に続いて、大人の嘘つきは記憶力の天才しか許されない、というような趣旨が書かれていました。はっきりした表現は忘れましたが、要は、普通の社会生活を営みたいのなら、自分が話した嘘を全部記憶しておけるだけの能力がないかぎり嘘はいわない方がいいというものでした。何年何月に、誰に対して、どんな場面で、どういう嘘を言ったか、ということを全部記憶しておかないと、いずれその嘘は自分に災いとなって降りかかってくるという三島氏の説は、記憶力に自信のない私を脅かすには十分でした。さらに、一度口からでてしまった嘘はひとり歩きをするので、そのつじつまあわせにまた嘘をつかなくてはならないはめになり、そのつじつまあわせの嘘までも何年何月に誰に対して何を言ったのかを記憶せよ、ということにいたっては、「私には絶対に無理」と思わざるえませんでした。以来、私の主義は記憶力を駆使しなくてすむように「シンプル=正直」です。でも、最近の世の中、自称記憶力の天才が多いようです。しかし、真の天才とは数が少ないらしく、ぼろぼろと嘘が発覚し、周囲に多大な迷惑をかけ自分も窮地に追い込まれている人が多いように思います。どこかでボタンを掛け違えると、掛け違えた場所にもどらない限り、永遠に掛け違えたままです。でも、哀しいかな、時は元には戻せません。心安らかな老人ライフを目指す私としては、ボタンをかける時は時間をかけて慎重に、もの忘れがはげしくなっても大丈夫なように嘘はつかない、を基本に生きていきたいと思っています。