価格
最近、つくづく感じるのは、農作物の価格っていったいどのぐらいが適正なのだろうということです。通常の工業製品だと、原価があり、利益幅を計算して価格をつけますよね。当然、そこにはそこの工場で働く人たちの給料も経費としてはいっているわけです。しかし、農業って、そこで働く農家の人たちの人件費は計算されていないことが多い。家族経営だし、家族の中に勤め人がいて現金収入があった場合、自分の人件費はいくらと考えずに、ただ、種代、肥料代、農薬代、資材代のみを計算して、それで利益があったとかないとかの話になりやすいのです。違うよね、だから後継者が育たないのだよね、と思ってみても、では適正な人件費を乗せた適正な農作物価格はいくら、と言われるとハテ?と考えてしまいます。たぶん、どう考えても今の価格より高くなりますよね。果たしてそれで売れるのか、という基本的なところに戻ってしまいます。消費者の人は少しでも安い方がいい、でも、今の価格では農家そのものが激減してしまう、その間をいったいどうやって埋めていくのでしょう。大型化して採算をあげて、なんて言っていますが、それは絵に描いた餅。大型化する前提の土地の集約そのものが難しいのですから。いえ、土地は集まります。過疎地の中山間に行けば。でも、小さな条件の悪い土地を、飛び飛びに集めても、作業の効率化にはほど遠い。まして、大型機械なんか入りません。結局は土地を集めた分だけ人が必要ということになってしまいます。ただ、米づくりの場合は、それでも一人で何十町という単位で栽培することはかろうじて可能ですが、国は米をつくるな、と言っているし・・・・・。今の動きとして感じるのは、皆、少しでも生産者と直につながろうとしていること。卸業者の手数料が自由化され、流通に革命が起きるとかいっていますが、その中で流通業者も生き残りを図って大変です。自分とところの利益は確保し、その他のコストは削ろうと。今までの卸業者は、農協出荷を市場で買って、というルートを構築し、そして市場で安くたたいて最終的にスーパーに安くもって行きながら利益を確保するという流れでした。だから、今年の夏の桃のように5kg箱が100円以下という価格が可能になってくるのです。その桃を出荷した農家は、今の市場の価格を知らされていなくて、自分の桃がいくらで取り引きされたかは、すっと後からわかるしくみになっています。農協は今の市場価格を農家に実況中継はしません。だって安かったら農家は怒るし、出荷しなくなったら農協の仕組みそのものに支障をきたすから。後から、「今年は全体にやすかったようです」と言うだけ。だからといって、その農協の出荷の仕組みがなかったら、小規模農家は自分のところで栽培した農作物を現金化する方法がありません。なぜなら、消費者に直に売れるものは限られており、単品の野菜、たとえばショウガのみを直売で買い、宅配してもらう消費者なんていませんから。
生産者ー農協ー市場ー卸業者ー小売り業者ー消費者 、今の流通では単純に考えても生産者と消費者の間にこれだけの中間がはいります。それで、生産者と消費者の位置いうのは不動ですが、その間の人たちがなんとか自分たちのみで生産者と消費者を結びつけようとしているというのが、生産者に直につながろうという動きです。でも、その直につながろうとしている人たちもまた、自分たちの利益の拡大を狙っているわけですから、生産者として、全ての経費をかけて1つ100
円という価格をつけたものが、一業者を通しただけの販売価格が180円ぐらいになっていたら、憮然とします。私の知り合いにも生産者をやめて販売の方にまわっている人が数人いますが、その理由はわかります。やっと日本の農業をどうにかしなくてはという「机上の理論」が始まったようですが、それが実効性のある具体的なものになるのが早いか、高齢化が進んで後継者のいない農業が再起不能になるのが早いか、どちらでしょうか。私に具体案をだせと言われたら、まず欲しいものは、安くレンタルできる農業機械です。大型化しろ、というならば、まず大型化に一番必要なものを用意できる仕組みが欲しいですよ。自分で使うものだから自分で買えというご意見もあるでしょうが、今の大型機械を購入してたら、農家はその機械代を支払うために何年、ただ働きをしたらいいのでしょう。
機械代のためには農作物を高く売りたい、政府は価格を安くさせるために大型化を進めたい、というぐるぐるまわりの農業政策です。