農業を通じて生きるということ
農業を生業として生きるということ、について考えてみました。
農業を生活の糧とする考え方は当然のことですが、農業を生活のため、というだけで捉えるのと、農業を通じて生きるという捉え方をしたのとでは、周囲に対する態度に違いがあるな、と思っています。
農業を通じて「生き方」を追求していたった場合、どうしても周囲に対して寛容で優しくならざるえないと思います。効率優先の考え方の基本が、いかに時間とお金に対して無駄をなくすか、捨てられるかというところだとすると、農業はいかに今あるものをそのままで包みこむかを基本にせざるえないのです。つまるところ「共生」なくして農業はなりたたないので。農業生産法人を立ち上げるまで、農業とは無縁できた私。その中で、いつしか「割り切らないと仕方ない」と思ってきたものが、いかに無力ゆえの割り切りであったかに気づかされることも多々あります。先日の「ヒロイン」の総会であった人たちのすごさは、他の人が「仕方ない」で事実上、割り切って切り捨ててきたようなものに「待った」をかけ、苦悩したその末に、楽しみ変えて受け入れてきたという生き方があります。身内に高齢の老人を抱えたり、障害者を抱えたり・・・・・。施設を否定はしませんが、でも、彼女たちは施設ではなく、共に生きることを選択し実践してきています。何がその人と世話をされる側にとっての幸福かはわかりませんが、これしかない、という選択ではなく選択肢を広げる生き方を実践してきたその強さがすごいと思うのです。