農業環境技術研究所
12月9日と10日の両日、つくばの農業環境技術研究所での交流会に参加してきました。
私は今回「中山間の農業」についての発表をさせていただきました。今回は研究所の事務局の方の試みで、私たち実践者の発表と、それに対しての研究者の方の発表を交互にするように
されていました。
私の後から発表された研究者の方の内容は
地図から読む東京の農地の歴史的変遷でした。
とても興味深い内容でしたが、特に私が関心をもったのは、江戸時代にすでに、江戸郊外の農村では、一戸あたりの農家に対して、2町の水田や畑、草林が与えられていたことです。
当時の最大の消費地「江戸」に対して近隣の農家が供給体制を築いていたわけです。
そして、この体制があったからこそ、19世紀の江戸は世界にもまれな「完全エコ都市」でした。
この供給システムを作ったのが、当時のお殿様の「柳沢吉保」ということでした。
歴史の本やテレビではとかく、私利私欲の権力亡者のように扱われていますが、なかなかの
名君だったようです。
やはり歴史は権力者の側から書かれるもの。
経済や農業の視点から歴史を編纂すると、歴史上の人物評価はがらりと変わってくるかもしれません。