日本の未来は明るいか?否か?
本日、猪が捕獲されました。崖の上に仕掛けた罠にかかったようです。 当フアームの若手スタ …
自然の恵みいっぱいのフルーツと野菜
今、うちの農園は土木工事の真っ最中です。
今年も、たくさんの田を委託してもらいました。
うちは原則、田として使用しないので(お米はつくりません)委託された土地でまずしなくてはならないのは暗渠です。
今年もレナタルで大型機械を借りて、約二か月近く、田の暗渠をしています。
これがなかなか大変なのです。土地集約の中間機構は、土地を貸す方にお金をだして、借りる方にはお金をだしません。このやり方だと、平野はいいけれど、中山間地域では、貸したい人が多く、借りたい人がいないという現状です。
うちも、暗渠のためのリース料はほぼ40万以上。泣けてきます。
でも、暗渠をきちんとしていないと、田はお米以外のものを栽培しにくのです。
では、田で栽培できるお米はというと、これかまた安いとくる。その上、中山間地域では規模拡大には限度があるけれど、お米の場合、一人で20ha以上はしないと採算はされません。
中山間地域では、20haを一人でするなんて絶対に無理!
では田を畑に、というと暗渠に手間と時間とお金がかかる。しかも、もちろん自費!
これで中山間地域で土地の集積がすすむわけがないと私は思うのですが・・・
だから、その中で土地の集積をして自費で暗渠をしている、わがファームってよほどの「アホ」だろうな、とつくづく思っています。
あ、この画像ですが、中山間地域の条件の悪さの中には、水は天水に頼るしかない、というものも入ります。
だから、掘っちゃいました、ため池を!
と、軽く言えるのは、うちに土木工事の経験者がいるし、大型機械を得意とする人がいるからです。
普通の中山間地域の農家では、なかなかできません。
だからこそ、普通の農家が、がんばったらなんとか生活できる農業が成立する農政が欲しいのですが・・・
先日、東京で農業法人協会の大会に参加してきました。
その際に、前々からぜひ行きたかった静岡の望月さんのところに寄らせていただきました。
と、書くと、なにげない行動のようですが、しかし、ここに至るまでには、例によって私のとんちんかんな勘違いがあったのです。
岡山県人として、私、東京の位置はわかりますが、他県は県名はわかりますが、位置は確実に把握していないのです(すみません!)
かつて、東京の方が神戸の隣は広島だ、と言われましたが、それと似たような感覚なのです。
で、私、静岡は東京の近くだろうと思っていたのです。(電車で30分ぐらい)私の感覚では
静岡は関東だったんです。(またまた、すみません)
従って、飛行機で東京に行って、そして静岡に寄ってお会いして・・・と簡単に考えていたのです。だから、電話でアポをとった時にも気軽に、
では○○までに行きます、とか言いました。
で、日にちが近づいてきて、さて、と行き方をネットで調べようとして、初めて知りました。東京と静岡って新幹線で一時間なのね、と。 気がついてからは、必死でルートを検索しました。救いは、岡山発が早かったこと。
羽田から品川にでて、品川から新幹線にのって静岡まで行って、静岡から乗り換えをして、やっと目的地についた次第です。
お会いできた望月さんご夫婦は本当に素敵で優しい方たちでした。初対面の私にお忙しい中、いろいろとお付き合いくださり案内してくださり、駅までの送迎もしてくださいました。
感謝・感謝・大感謝です。
で、何をするために会いに行ったか?それはマル秘の企業秘密!
(と言いながら、もう数人にしゃべった!)
きっと、何年か先に、公開できるでしょう。
でも、でも、私、静岡って平野のイメージがあったのですが、岡山にも負けない中間地域でした。
そこを丹念に切り開いて広大な茶畑にされた静岡県のお茶農家の方々に心より敬意を表します。
本当に素晴らしい息をのむような景色でした。茶畑があんな斜面に展開されているとはしりませんでした。
きれい、きれいですが、日ごろの管理の大変さを思うと溜息がでました。
昨日は、全員研修の日でした。かねてより、ピサ゜焼き窯に興味があり、吉備高原ファームでもつくれないか、という話になっていました。
新しいスタッフの女性が近所に「自給自足」を目標にしている方がいて、そこにピサ゜窯があり時々、焼いてもらうという話を教えてくれました。
で、もちろん、お願いしてお昼時間を研修にしました。
チーズがいっぱいで、熱くて、皆、黙々と食べてます。中には、正式スタッフではありませんかが、こういう機会は逃さない人も加わっています(わが娘)
ピサ゜生地やトッピングを大量に持ち込んでのピサ゜パーテイー。
ただ、この地域に長年生きていると、「若者の食欲」の概念が薄くなる傾向あり。
若者4人の食欲を前に、他のスタッフやピサ゜窯の持ち主は、「すごい!」「びっくり」「さすが」とのこと。
ただ、最後のピサ゜生地で焼いたものは、残っていたトッピングを大量に乗せたので、「オリーブオイル」「照り焼きチキン」「チーズ」「ブロッコリー」「タマネギ」「照り焼きチキンソース」「マヨネーズ」・・・てんこ盛り!
さすがにラストはきつく、私は焼き上がりを見るなり「限界!私パス」と宣言。
と、分け前が減って喜ぶのかと思えば、皆「それを言っちゃ、おしまい。みんな誰が言ったら、自分も言おうと思ってたんだから」
と怒られました。
で、「このセリフは一番の年長者(悲しいことにうちではそうです)の特権!」と言い放っておきました。
ということで、私はたべなかったけれど、皆は責任!?をとって食べてました。
そして帰りの車の中では、「最後の一枚がきつかった」と。
ピサ゜窯の構造の写真をたくさん撮らせてもらったので、来年はうちでも作れるかな?